第26回 J. S. バッハの教会カンタータ(その1)
前回はそもそもカンタータとは何か、そしてバッハ以前のカンタータはどのようなものだったかということをお話いたしました。
前回の記事はコチラ↓
今回はバッハの教会カンタータの背景についてお話いたします。
バッハのカンタータの背景
著名なバッハ研究者である樋口隆一氏は、バッハのカンタータの根源として、以下の5つをあげています。
1.モテト様式
2.マドリガル様式
3.コンチェルト様式
4.モノディー様式
5.コラールとコラール編曲
これらは音楽構造の面から捉えたバッハのカンタータの背景ですが、実は使用される歌詞の問題も複雑に絡み合っています。
以下これらについて一つ一つ、歌詞と、音楽構造の両面から見ていきましょう。
1.モテト様式
グレゴリオ聖歌をその源泉としながら発展していったポリフォニー(多声音楽)の伝統が、このモテト様式の背景です。
線と線が時に模倣しあいながら、時に対立しながら対位法的に絡みあう様式で、例としてはジョスカン・デ・プレなどはその発展の頂点を示す作曲家です。
Josquin des Prez : "O bone et dulcissime Jesu"
Salicus Kammerchor
この様式はローマ楽派のパレストリーナで完成したと言われていますが、バッハも晩年にこの作曲家のミサ曲を研究し、ロ短調ミサ作曲の礎としたと言われています。
サリクスでも演奏した『ミサ・シネノミネ』がまさにその作品で、バッハはこれを全曲筆写し研究し、編曲しました。前半のキリエとグローリアについてはバッハ自筆のパート譜があるので、実際にバッハが演奏したものと思われます。
G. P. da Palestrina / J. S. Bach "Missa sine nomine" Kyrie
Salicus Kammerchor
モテト様式はグレゴリオ聖歌に端を発していますので、その歌詞は主として聖句となります。5つの様式の中では最も伝統的で、歴史の古い様式と言うことが出来ます。
Salicus Kammerchorが重視している、グレゴリオ聖歌→フランドルポリフォニー→バッハという流れを意識することは、このモテト様式の作品を演奏する際に大きな意味を持ちます。
このことに関してはコチラ↓の過去のブログ記事をご参照ください。
2.マドリガル様式
マドリガルは16世紀イタリアを中心に栄えましたが、その特徴は、歌詞を修辞学的に音楽化するということです。イタリアでモンテヴェルディに学んだシュッツは特にその影響が濃厚で、一つ一つの単語に対してその単語が表す意味内容を音の形によって表そうとする傾向があります。
マドリガルはもともと世俗音楽の様式ですので、歌詞とのつながりとしては自由詩とのつながりが密接ですが、修辞学的な歌詞の音楽化という意味では、どの歌詞の種類とも関係があるといえます。
例としてはモンテヴェルディのマドリガーレ集第6巻を挙げておきます。
(C. Monteverdi/Il sesto libro dei madrigali)
3.コンチェルト様式
これもまたイタリアから持ち込まれた様式で、その功績はシュッツに帰せられる部分が大きいと思われます。ソロとトゥッティ(全奏)、声楽と器楽との対比、また奏でられるモチーフの対比など「対比の原理」がその特徴として挙げられます。
以下はA. ヴィヴァルディのコンチェルトです。ソロとトゥッティの対比がわかりやすいですね。La Musica Collanaの演奏です。
A.Vivaldi/Concerto per violino in la minore RV 357-3 Op. 4
"La Stravaganza"
La Musica Collana
バッハへの影響という意味では、彼がヴァイマール時代に出会ったA. ヴィヴァルディの存在が非常に大きかったと思われます。いわゆるバッハの「イタリア体験」と呼ばれますが、これを契機にして、この後のケーテン時代に多くの器楽曲が生み出されたと言われています。
4.モノディー様式
またまたイタリアからの輸入ですが、これはバロックをバロック足らしめたともいうべき様式です。複数の声部が絡み合って歌うルネサンス期のポリフォニーに対して、それでは歌詞が聞き取りづらいということで出来た、ソロの声楽のための様式です。
フィレンツェの「カメラータ」というとピンとくる方も多いのではないでしょうか。彼らはギリシャの音楽劇を再生させる(その結果がオペラを生みました)という意気込みでこの様式を作り出しました。これは単旋律で自由に、そして台詞の朗読を延長したような形で歌うソロの声楽声部を、通奏低音の和音で支えるという形をとっています。
「通奏低音」と「オペラ」の確立というのがバロック音楽成立の大きな要件であるとするならば、このモノディーこそがその発端となったと言えるでしょう。
このような成立の仕方ですので、使用される歌詞は自由詩が多く、レチタティーヴォ、アリアという曲種に用いられています。
カメラータの一人、カッチーニの最も有名なマドリガルを例として挙げておきます。
(G. Caccini "Amarilli, mia bella")
5.コラールとコラール編曲
今までの諸様式はフランドルからの伝統や、イタリアから輸入されたものでしたが、コラールは宗教改革によってもたらされた、全くドイツ的な曲種です。
これは教会音楽を、会衆の母国語で会衆自身によって歌えるようにと、マルティン・ルターの主導によって作られた賛美歌です。ルター自身の作詞(訳詩)作曲のものもいくつか残っています。
会衆が正しく音程を取れるように、オルガニストが即興で前奏をつけたことから生まれ、後にそれがコラール前奏曲という一つの曲種となりました。その作曲法はバッハのカンタータの冒頭合唱部分にも生きています。
ただ会衆のためにつくられたコラールは有節的な性格を持っているため、バッハの時代にはすでに敬遠される存在となっていました。定旋律としてこのような素朴な旋律を使用するという制約のせいか、もっと自由に旋律を創作したいという気鋭の作曲家たちにはなじまなかったのかもしれません。
しかしそのような流れにあって、バッハは全くその制約を制約と感じさせないような実に多様で膨大なコラール編曲を行っています。
以下は有名なコラール『いざ来たれ、異邦人の救い主』が編曲された例です。
こちらがもとのコラールの旋律です↓
(Dreßdenisch Gesangbuch, Dreßdenn, 1656)
BWV36-2(ソプラノとアルトの二重唱)
BWV36-6(テノール)
BWV61-1(合唱)
BWV62-1(合唱)
BWV62-6(合唱)
どれもコラールが音楽の素材、というか一つの指針のようになっていて、それが音楽を制限しているようには全く聞こえませんね。その上一つのコラールでこれだけの多様性をもたせられるという、バッハの技法には驚かされます。
寄せ集めとしてのバッハの教会カンタータ
これら5つの要素が寄せ集まったものがバッハの教会カンタータであると、言うとが出来るかもしれません。
冒頭合唱では1.モテット様式、2.マドリガル様式、3.コンチェルト様式、5.コラールが主に用いられ、一つの楽章の中で複雑に結びついています。時には、例えば10月に演奏するBWV138の冒頭合唱のように、4.モノディー様式であるレチタティーヴォが挿入される場合さえあります。
その意味で、冒頭合唱はバッハの作曲における、技のデパートのような性格があります。
BWV138-1 Chor und Rezitativ
中間楽章は主にレチタティーヴォとアリアで構成されますが、これは主に2.マドリガル様式、4.モノディー様式、(アリアには)3.コンチェルト様式が用いられます。しかしここでも時には5.コラールが挿入される場合もあり、非常に多様です。
終楽章は大抵簡潔な4声体のコラールですから、5.コラールがメインとなるわけですが、これもまた、3.コンチェルト様式の中に組み込まれる場合があります。BWV138の終楽章はまさにそのタイプ(コラール組み込み)です。
BWV138-7 Choral
このように、一つの楽章が一つの様式で書かれることもありますが(レチタティーヴォのほとんどと、終曲コラールのほとんど)、多くは様々な様式が組み合わされて使われています。
この言わば「ごった煮状態」がバッハの教会カンタータの大きな特徴であり、魅力であると考えられます。カンタータにはバッハのすべてがあると言われるのはこのためで、そういった視点で教会カンタータを捉えると、よりバッハの音楽の多様な広がり、万華鏡のような音の「Art(技法/芸術)」の輝きが感じていただけるかもしれません。
今回はバッハの教会カンタータの背景をお話しましたが、次回はバッハ自身の教会カンタータが、彼の人生の中でどのように変遷していったかについてお話しようと思います。
(櫻井元希)
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J. S. バッハの教会カンタータ vol.2
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