音楽・芸術にまつわる名言集
コラム
音楽・芸術にまつわる名言集(この記事)
久しぶりのコラムです。
今回は、私が今までに感銘を受けた、音楽や芸術にまつわる名言、格言を集めました。
古楽全然関係ありませんが、Salicus Kammerchorが音楽へ向き合う上での原動力となっているのは間違いありません。
これまでこのブログでは、意識して一人称を複数形の「私たち」としてきましたが、今回は本当に個人的な「私」(Salicus Kammerchor主宰の櫻井元希)がこつこつ集めてきた言葉を公開します。
パーソナルなことでとっても恥ずかしいですが、私が常日頃どういうことを心がけて音楽に向き合っているかをお伝えすることは、ひいてはSalicus Kammerchorがどういうことを目指しているかということでもあると思い、思い切って公開することにしました。
並んでいる順番に特に意味はなく、無作為に並んでいます。複数の同一人物の言葉を連続して並べていますが、これも脈絡はありません。いろんなところから引用した言葉の断片です。
合唱指揮者
クルト・トーマス
Kurt Thomas
最初から、よくない合唱団があるわけでは決してない
――ただ、よくない合唱指揮者がいるだけである。
恐ろしいお言葉です。私が、特にアマチュア合唱団を指導する上で、戒めとしている言葉です。
合唱団にとって何より大切なのは、
それが一つの生命ある有機体であるということなのである。
合唱の理想を非常に短い言葉にまとめたものだと思います。
合唱指揮者が、音程の下がる原因を、自分自身以外に求めようとするならば、
それは、本当の原因を見のがしているということになるのであって、
これは、まったく疑う余地のない事実である。
よく、音程の悪さをメンバーのせいにしている人を見かけますね。
しかし、現実には、給料やその他の定期的な報酬は、
すべて合唱団の精神を堕落させるものである。
そのとおりだと思いますが、じゃあどすればいいんだ!とも思います・・・笑
作曲家
イーゴリ・ストラヴィンスキー
И́горь Фёдорович Страви́нский
いい作曲家は盗む。悪い作曲家は真似する。
高橋悠治
音の身振りっていうのがあるんだよ。
作曲した人の身体が、ネガのように浮かび上がってくる感じなんだ。
音の身振り、まさにネウマですね!
大事なのは、自分がこの曲といっしょに何をつくっていくかということ。
曲そのものではない何かを追い求めて、曲に取り組んでいきたいです。
湯浅譲二
いいか悪いかを判断する基準は、品があるかないかだ。
これは湯浅先生から直接聞いたお言葉です。しびれました。
武満徹
僕は音楽とは「祈り」だと思うんです。「希望」と言ってもいい。
身にしみます。
音楽も詩も、そんなに仰山ありがたいものではない。
くしゃみとあくび、しゃっくりや嗤うことといったいどこがちがうのだろう?
こういう根本的なことって、忘れがちですよね。
人間は生きるかぎりにおいて美をまちのぞむにちがいない。
そう信じたいです。
芸術は饒舌に身をかざろうとする時に衰えるものだ。
何も買ってやれないから、今日から僕煙草やめるよ。
音楽関係ないですね笑。でも武満の言葉の中でこれが一番好きです。
間宮芳生
精神の明快さと優しさこそが、
音楽にとって一番大切なものだと思うからである。
民謡に魅せられた間宮先生らしいお言葉です。
アルノルト・シェーンベルク
Arnold Schönberg
芸術は、ただ芸術それ自体のために創られうる。
武満も似たようなことを言っていますね。「政治的な音楽など存在しません。
もしそんなものがあるとしたら、それはもう音楽とは呼びません」とか。
レオシュ・ヤナーチェク
Leoš Janáček
美しいとか醜いとかいう借り物の形容詞は、私とは一切関係ない。
良い悪いも同じだと思いますが、「自分の価値観」に対する確信みたいなものを感じさせる言葉です。
ピアニスト
小林道夫
最後の複縦線を見て、はるばる出かけてみませんか。
道夫先生は私がカンタータクラブでお世話になって、多大なる影響を受けた音楽家です。
これらの言葉はリハーサルで先生が仰ったお言葉です。
性能が良すぎて、かえって面白くない。
良いペンでないと、いい絵が描けないってわけじゃないんですよね。
崩壊寸前で楽しもう。
道夫先生のお言葉の中で私の最も好きなお言葉です。
素敵でなきゃウソだ。
もう、そんな先生が素敵です♡
金の切れ目が縁の切れ目、
でも、音の切れ目がフレーズの切れ目とは限らない。
「休符をもっとレガートして」とも言われたことがある気がします。
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
Arturo Benedetti Michelangeli
演奏することは職業ではない。生きていることの証なのだ。
アルフレッド・ブレンデル
Alfred Brendel
限りない完璧さと、煩わしいものを排除した技術的なきれいさとを、
感動的な音楽体験に不可欠なものと考える人々は、
音楽に何を聴くべきか、すでに見失っている。
エトヴィン・フィッシャー
Edwin Fischer
音楽はいつの時代にも、魂の言葉であった。
これらは道夫先生にお薦め頂いた書籍にあった言葉です。
巨匠の作品は、あたかもうつわのようなものであって、
いつでも君の精神のながれを受け入れようと待ちかまえているのです。
作品と自分と、作曲家と、音楽との関係を言い当てたお言葉だと思います。
ベートーヴェンのなかに陣痛の叫び声をあげていた火山的爆発力、
彼を照らしていた太陽、彼の心臓を引き裂いた絶叫、
――われわれを震撼すべきこれらのものに対して、
われわれはもう不感症になっているのだ。
ベートーヴェンですらそうなんですから、それ以前の音楽は言うに及ばずですね。
ピアノ、様式、教育、知識など忘れてしまえ。
本番に特に強く心がける言葉です。
彼の生命の火からわれわれの火を受け継ぐ
これも3つ上の言葉とよく似ていますね。
肝心なのは大きな人生観なのです!
それに較べれば、いろいろなことがらはそれほど重要ではありません。
演奏会で少々うまくいかなければ、
次の機会により上手にやればよろしい。
力強い言葉です。励みになります。
われわれは偉大な芸術作品の前で、どれほど謙虚になっても、なりすぎることはありません。
道夫先生にも同じようなことを言われました。「ぼくたちは音楽に対して馴れ馴れしすぎる。」
われわれが身を低くすればするほど、それだけいっそう芸術はわれわれを祝福してくれます。
音楽学者
トラシュブロス・ゲオルギーデス
Thrasybulos Georgiades
この両者(過去とわれわれ自身)の間を媒介しているものは、過去において実際に響いていた音はどのようなものであったのかということに尽きる。
古楽の基本的な考え方に一致しますね。
歌手
松山千春
俺は歌うために生きてるんだ。生きるために歌ってるんじゃない。
上のベネデッティ・ミケランジェリと同様ですね。
チェリスト
鈴木秀美
ポルタートとヴィブラートは白い粉です。
古楽科の授業で大変お世話になった秀美先生ですが、授業中名言に事欠きませんでした。
フルーティスト
ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ
Johann Joachim Quantz
決して切断されない快楽は、われわれの感受性を弱め衰弱させ、
快楽をついには快楽でなくさせる。
バロックの演奏法について大変参考になる「フルート奏法」を書いたクヴァンツですが、
実はひとつ上の秀美先生のお言葉にもつながりますね。
猿楽師
世阿弥
見所同心
世阿弥って能楽師かと思ったら猿楽師と言ったほうが正確なんですね。
演じ手(あの世からこの世へ)と観客(この世からあの世へ)の心が重なる、
宙ぶらりんな、あの世でもこの世でもない場所で交わる様を表しているのだと思います。
詩人
ポール・マリー・ヴェルレーヌ
Paul Marie Verlaine
音楽が作られたのはね、いいかね、人間が自分を忘れられるようにさ。
自分というのは、つまり自分のことを忘れた社会的自分のことを言っているのだと思います。
つまり「自分を思い出すために」と同義なのだと思います。
宮澤賢治
詩は裸身にて理論の至り得ぬ堺を探り来る。そのこと決死のわざなり。
これは賢治の作品中の言葉ではなく、賢治が座右の銘とした言葉なのだそうです。
全身総毛立ちます。
作家
芥川龍之介
君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。
けれども自然の美しいのは、僕の末期の目に映るからである。
生きることと死ぬことは同じ。
矛盾しているようだけど、矛盾こそがこの世界の成り立ち、
そんなことをわかりやすく言い当てた言葉だと思います。
哲学者・思想家
古東哲明
芸術は、あくまで現実からうながされ、
現実を発見すべく、
現実の再創造をめざし、
現実喚起をこそ最終課題とするいとなみである。
古東先生は私が広島大学でお世話になった先生です。
古東先生に出会えただけで、この大学にきた意味があったと思えるほど強い影響を受けました。
先生の授業は、あなたは間違ってない、と自分の全存在を肯定されたような気持ちになる授業でした。
だから芸術は、瞬間を生きる。瞬間を生きるから、芸術である。
美術は瞬間を永遠にしようとし、音楽は瞬間を永遠にしようとする営みなのだと思います。
でも結局目的は同じ。
〈底がない〉とは、それ自体が〈底である〉ことにひとしい。
底は底なし。それを存在させるための何か別のものを必要としないということは、
それ自体が根底的であるということ。
ヘラクレイトス
Ἡράκλειτος
目にみえない調和(ハルモニエ)は目にみえる調和よりすぐれている。
目にみえるハルモニエの中にも、目にみえないハルモニエを見出したいです。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
Friedrich Wilhelm Nietzsche
バッハは、ヨーロッパ近代音楽の敷居に立っているが、
そこから中世を振り返っているのだ。
「中世」が何を指すかは不明ですが、
そこでグレゴリオ聖歌とバッハの視線がばっちり合ったら素敵ですね。
荘子
間違いのない正しさ、
乱れのない秩序を求める者は、
この天地の原理を知らない者である。
彼はものごとがいかにつながり合って存在しているかを知らない。
上のアルフレッド・ブレンデルの言葉にも通じるものがあると思います。
いかがでしたでしょうか?いずれ第2弾をやろうと思います。その時は芸術に関するもの、という制限を外したものになるかもしれません。
人間、芸術、生は渾然一体。生きることは芸術すること。だと思うので、一見芸術に関係ないと思われることでも、人間に関することで、芸術に関係ないものはないのだと思います。
では最後にバッハのお言葉を・・・
J. S. バッハ
「真の音楽」とは、
「神を褒め称え、魂を再生することを…
その究極の目的、最終的な目標とするものである」
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Ensemble Salicusレクチャー・コンサート グレゴリオ聖歌とフランドル・ポリフォニー 〜単旋律聖歌の魅力とそれに育まれた多声音楽〜
2017年10月18日(水)19:00開演 豊洲シビックセンターホール
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